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ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 204
204 宗教と科学(28)星の死骸がごろごろ…宇宙に明日はない!
「宇宙はものすごく小さい時からビューンと成長してきた。それは分かってきた。ところが、膨張宇宙論について半世紀以上前から研究されているが、膨張のきっかけ、原因についてはいまだにわからない。膨張の時期や宇宙の赤ちゃんの小ささについて、の研究は非常に進んでいるが、かんじんの〈なぜ膨張か〉についてはいまだになにもわからない。」(文隆先生)のだそうである。「こんなに科学が進んでもやっぱりまだわからないのか、だから言ったはずだ、そこには神のみわざが…」と宗教陣営を勢いづけそうな言葉である。
では、逆に宇宙の未来を科学はどう予測しているのだろう。
ここでも、二人の佐藤――文隆京大名誉教授と勝彦前東大教授の著書を適当に盗作させてもらおう。
いまの宇宙はいつまでも膨張し続けるのか、逆にある時を境に今度は縮み始めるのか。どちらに舵をとるのか、まったくわからない。両方の未来図を計測すると。
『膨張』説
宇宙はいまも膨張し続けている。遠方にある天体はしだいにわれわれの視界から消え去ろうとしている。天の川銀河の外には百億光年を超えるような遠方のものを含め無数の銀河が分布しているが、現在、これらは光速に近い速度でわれわれから遠ざかっている。百億年後のわれわれの子孫はこれらの銀河を観測するのは不可能だ。われわれが観測できる限界は「事象の地平線」といわれ、その距離は約百七十億光年とされる。今後、銀河たちは次から次へこの地平線を越えて、二度とわれわれの視界に戻ってこない。
われわれの住む天の川銀河は50億年後、隣のアンドロメダ銀河と衝突合体して、百億―百五十億年後には巨大な超銀河となる。千億年後、われわれの子孫がもし、この超銀河に生存しておれば、彼らは、宇宙とはこの超銀河と周りの空虚な空間だけ、と科学するだろう。「事象の地平線」の向こうに広がる無数の銀河や空間を科学は察知することはできないのだ。
さらに彼らは「この宇宙がビッグバンで始まった」ということは千億年前の古文書で〈仮説〉として知っていても、科学的根拠、観測的根拠は見出せない。
なぜならーー彼らの科学は自分たちの住む超銀河のほかには他の銀河をひとつもみつけることができない、など三つの専門的な理由があげられる。
そして宇宙は年老い,輝くものもなくなっていく。星は燃え尽き、冷え切ってしまう。ブラックホールや光らなくなった星の死骸がごろごろと散らばるつながりのないさみしい宇宙になっている。やがてあらゆる構造をもつものは壊れ、もとのもくあみ、素粒子に帰っていく。
『収縮』説
宇宙に暗黒エネルギーなどの物質がたくさん存在すれば膨張はとめられ、Uターン、逆に収縮に向かう。銀河・星などのないのっぺらぼうの宇宙になり、密度は高くなり、すべての構造物は壊され、温度は1兆度まで上昇し、これまたすべてが、もとのもくあみ、赤ちゃん宇宙の昔にかえる。ビッグバン宇宙の時間を反転したものと限りなく近い状態が展開するのだ。
天才ホーキングの珍説がある。
宇宙が収縮に転じたときには宇宙の時間が逆戻りを始めると主張した。ある国際会議でこう講演した。「宇宙の膨張期にコップが机の上から落ち、コップの破片が飛び散り、コーヒーがこぼれても宇宙の収縮期には破片が元通りになり、コーヒーは戻る。また、われわれの脳に蓄積されていた記憶は宇宙の収縮期にはどんどん消えていくであろう」。聴衆はあっけにとられ、言葉を失った。それをみてホーキングは得意げににやりと笑った。しかし、二年後、ホーキングはこの説を取り下げた。簡単なモデルで宇宙の波動関数を計算していたらしい。
ここで宇宙全体の話からちょっと横道にそれてボクたちの身近な銀河や星たちの運命についてひとこと。
星にもそれぞれ寿命がある。短命なもので百万年、長命だとーー宇宙誕生時のころ生まれた星がまだまだ健在だという。短命の星はつぎつぎ爆発、更新されている。爆発すると、鉄、金、ウラニウム、などなど何十種類の元素がほんの一秒もかからない間にパッとできる。それが飛び散り、次の世代の星の中に取り込まれていく。
ところが、こんな生と死を繰り返すうちに銀河によっては新しい星を作る原料のガスがなくなってくる。新しい星は生まれず、かろうじて弱々しい光の老人星に支えられている高齢社会の銀河と、まだ若々しい銀河のふたつに分かれるのだ。むろん若い銀河の星も全員必ず老い、死んでいくけれど。
いずれにせよ、宇宙は膨張に進もうと、収縮をたどろうと生きのびる方法はないのだ。どっちみち、もとのもくあみ、に帰っていく。将来の科学はビッグバンの存在さえ確証することができないという。自分たちの住む「超銀河」だけを全体宇宙と思い込む科学の限界。ほどなく、光を失ってしまう銀河や星たち。―――こういう空の下で、いまを息づいているボクやノラたちって、何なんだろう。宗教や哲学は厚化粧でねちねち答えてくれるだろう。科学からは「そんな意味づけはわれわれの役割でない」とスッピンの貧しい言葉が返ってくるだけなのだろう。(つづく)
ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 203
203 宗教と科学(27) 宇宙の2大主役は正体不明
正体不明の〈暗黒物質〉とか、謎の〈暗黒エネルギー〉とかが宇宙論にはやたらに登場する。それも「宇宙の見えない主役」とか「宇宙の本当の主役」とかニギニギしいキャッチフレーズ付きである。
前回の前東大教授佐藤勝彦さんの「宇宙論入門」の場合、見えない主役は暗黒物質であり、本当の主役は暗黒エネルギーとなっている。
かなり以前から宇宙科学者の間では宇宙の中には「光っていない物質」「観測から見落とされている質量」が大量にあるのでないか、とうわさされていた。暗黒物質が具体的にクローズアップされたのは古いことでない。40年ほど前、アメリカの女性研究者ベラ・ルビンが光らない物質が隠されていなければ銀河の中での星の回転速度を説明できないことに気付いたのがきっかけだ。
いまでは、光は出さないが、重力の源になる「何か」は、暗黒物質と呼ばれ、あらゆる種類の銀河の周りに、あるいは何百個もの銀河が集まった銀河団にも、周囲を取り囲むように存在していることが明らかになった。その量は、望遠鏡や電波で見える星など普通の物質の10倍もあるという。
暗黒物質の正体は?
はじめは、ごく単純に星の死体、あるいはブラックホールのような見えない天体と思われた。
星は一生を終える時、こうした暗い天体を残すのだそうだ。太陽の8倍より小さな星は老化すると、中心部はエネルギー源がないので萎え、ただ冷えるだけでしだいに黒くなってしまう。外層はガスとして宇宙空間に放出される。また、太陽の30倍より大きな星は爆発をし、ブラックホールを造る。
しかし、その後、この説は否定され、代わりに宇宙創世期に生まれた原始ブラックホール、弱く重い粒子など諸説があるが、いまも正体不明のままだ。正体はわからなくても、存在するのは間違いなく、銀河など光で見える物質はこの暗黒物質の重力によって集まっているのだという。
ところが、12年前に宇宙の本当の主役「暗黒エネルギー」が発見され、アメリカの『サイエンス』誌はその年の10大発見のトップに選ぶ騒ぎとなった。アメリカとオーストラリアのそれぞれプロジェクトチームが「現在の宇宙には〈真空のエネルギー〉が満ちており、それによって現在、宇宙は加速膨張している」と発表したのだ。
いま、宇宙は創成期に続いて、第二のインフレーションが始まったのか?
その驚きはともかく、この真空のエネルギーが今日一般に「暗黒エネルギー」と呼ばれるものである。これはさきほどの暗黒物質よりさらに強力で宇宙を構成するエネルギーとしては、暗黒物質23%に対し、暗黒エネルギーは73%と3倍を超える。そして天体やガスなどふつうの物質は4%にすぎない。
目に見えるふつうの物質の役割は、宇宙全体の膨張や運命を決めるうえで片隅の端役にすぎないことが数字の上でも明らかにされた。宇宙を牛耳る二つの暗黒のボスは神秘の向こうに横たわり、人間のお目通りを許さないのである。
米航空宇宙局(NASA)が「暗黒エネルギー探査計画」を設置したのをはじめ、日本、アメリカ、ヨーロッパの研究者たちがその正体を明かそうと必死で取り組んでいる。
こうした動きについて勝彦先生はこう書く。
「第二のインフレーションが本当に始まったのかということもはっきりと言えないし、また、それが本当としてもすごく大きな謎が残る。だが、このような状況はわれわれ理論物理学者としては歓迎したい。物理学が進歩するためには新たな謎が必要だからである。」
さらにこういう趣旨も述べている。
「宇宙論は確かにこの百年でおよその宇宙進化の骨格を描き出すことに成功した。略。しかしそれは同時に本質的に挑むものがもはやなくなったことを意味しており、研究者に失業の危機が迫っていることになる。」
そして宇宙論は終わったのでなく、その始まりの終わりであると強調し、「知れば知るほどいままで気付かなかった新たな謎がみつかる」「二十一世紀前半には、観測によって豊かな宇宙進化の描像が描き出されるであろう」と、最後はゆけゆけどんどん、太鼓をたたくように盛り上げている。
ふと、職業軍人たちが自分たちの失業対策のために戦争をつくりだしたという歴史上の多くの事例を連想してしまった。
このほかにも同書にはこんな箇所がある。
「宇宙の未来についての記述は圧倒的に少ない。これは宇宙の未来について論文を書いても実際問題としてこれを観測的に実証することができないからである。宇宙論での未来とは少なくとも億年以上の未来であり、科学者の一生の間に確かめられることはありえない。略。そもそも人類が存続しているかも疑わしい。」
啓蒙書だけにわかりやすさを心がけ、また、ボクが門外漢ゆえに早合点しているところもあるだろうが、科学者の失業の危機のくだりとあわせて部外者としては甚だ興味深い。
それというのも、もう一人の佐藤さんーー文隆先生が、別の論文で、これ以上の宇宙研究にどんな意味があるのか、それをコスト面(当然、宇宙の科学研究費はわれわれの税金で賄われているから)と一般国民の認識・意識の面から問うているのである。その紹介は次回以降にまわそう。(つづく)
ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 202
202 宗教と科学(26)宇宙は雨後のタケノコのように増え続けている!?
前回の『宇宙の赤ちゃんは無数にいる、われわれのこの宇宙だけが〈唯一絶対の宇宙〉でない』という佐藤文隆京大名誉教授の言葉が気になる。ボク自身の知識がないので、あちらこちらの本を引っ張り出すのに忙しいのだが、197回にちょっと引用させていただいた、名高いもう一人の佐藤さんーー前東大教授の勝彦さんの著書『宇宙論入門』(岩波新書)にこのくだりがやや詳しく書かれている。
前後関係は一切省略して、おおざっぱに要点を抜き出すとこうなる。
「宇宙の赤ちゃんはやがて急膨張――インフレーションを起こし始める。すると赤ちゃん宇宙にキノコのように小さな宇宙の元が派生し、それがインフレーションのプロセスで分離してしまうことがあり、それが新しい空間すなわち別の宇宙となっていく」
(この本には挿絵が描かれている。キノコは女性のおっぱいのように丸く膨らみ、元の宇宙から無数に出てきている。)
「キノコの茎にあたる部分、すなわち元の宇宙と新しい宇宙をつないでいるくびれた空間は〈ワームホール〉という時空構造をしている。元の空間からワームホールを見ると、ブラックホールに似ている。しかし、さらに内部に向かっていくと、空間は徐々に狭まっていくが、あるところを境に逆に広がり始め、ついにインフレーションを続けているいわば孫宇宙に行き着く。ただし、ワームホールはブラックホールと同様にその両側は通行不能で二つの宇宙は相互の因果関係が切断され、まったく別の宇宙となっている」
勝彦さんはここで読者に息抜きをさせようというサービス精神からか、中国の「一壺天」という古い話を挿入している。漢の時代、塔の上から都を眺めていた費長房という人が薬売りの老人に気付いた。老人はこれで店じまいというときに、店先においてある壺の中にひょいと入ってしまった。老人は仙人だったのだ。次の日、費長房は仙人に頼んで壺の中に入れてもらった。そこには広大な別世界が広がっていて、美酒と山海の珍味が満ちている。――幼児のころ、寝つきの悪いボクに父がよくしてくれたお話だ。要するに、ワームホールの入り口はブラックホールにしかみえないが、中に入ると広い別の宇宙が広がっているのである。
孫宇宙が分離せず、2つの宇宙がつながったままの場合、へその緒(ワームルーム)はどうなるのだろう。天才ホーキングは、量子論的発想でいけば、ブラックホールは長い時間の間に蒸発してしまう、と証明した。それなら似たようなワームルームも同じ運命をたどるだろうというのが現代物理学者たちの説のようだ。こうしてふたつの宇宙という空間は因果の関係も切れ、さらにワームルームの蒸発によって時空としても完全に切れたことになるという。
赤ちゃん宇宙は成長して新しい孫宇宙を生むことで母宇宙となる。孫宇宙もまた同じように新しい宇宙を生む。この連鎖が続き、次々赤ちゃん宇宙が誕生していく。このように宇宙は無限に作り続けられているかもしれないと最新の宇宙論は語るのである。
ところで、因果関係の切れた宇宙がつぎつぎ無限に発生していると言っても、それをだれが実証できるのか。この宇宙の住人である人類がどうして因果関係の切れたよそ様の宇宙の存在を理論的に原理的に科学的に突き止めることができようぞ。もし他の宇宙の存在を知ったとしたら、それは因果関係があることになり、われわれのこの宇宙の一部にすぎないということになるではないか。――素人でもわかる屁理屈反論だが、勝彦先生も実際にそのように書いておられる。
そしてこうも書いている。
「インフレーションは宇宙が平坦で一様であることを説明するとされているが、これは観測的に知られている程度の領域のことであり、はるか彼方の、たとえば一兆光年先、一京光年先はむしろ凸凹だらけで〈壺型のワームホール〉を通じて別の宇宙とつながっているかもしれないのである 」
次回に紹介する暗黒物質や暗黒エネルギーなど宇宙はわからないことだらけなのだ。相対性理論と量子力学の2大発見でやっと宇宙解明の手掛かりをつかみかけているということか。
英国ケンブリッジ大学クイーンズカレッジ前総長で、英国国教会司祭でもある理論物理学者ポーキングホーンはいう。
「ニュートン以来、力学の特徴となってきたのは物理現象の記述を明快におこなうことと、決定論(何事も原因によって結果が決まるという考え方)を決して侵してはならないということだった。アインシュタインの特殊相対性理論は革命的ではあったが、この2点はニュートン力学の尻尾を引きずっていた。しかし量子力学は百%覆した。物体が明快な、一意的な軌跡を描いて移動するという考えを捨て去り、代わりに『自然界は気まぐれ的な性質がある』という考え方を導入した。その結果、専門的な物理学者たちもいま混乱しており、相互矛盾する哲学的立場を現代物理学が弁護するといった事態も生じている」(『量子力学の考え方』講談社)
最新最強の科学である量子論はむしろ科学より宗教に近い一面をもつ、という意外な幕開けのようにボクは受け止めた。最近の気の利いた仏教書などには量子論の発想がひんぱんに登場しているのも、むべなるかな、である。このことはいずれ紹介するが、当分は宇宙論を続けよう。(つづく)
ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 201
201 宗教と科学(25)宇宙の始まりを問う愚かさ
宇宙の始まりを素人に説明するのはどんな専門家でもむつかしいらしい。それは前回、佐藤文隆京大名誉教授の『宇宙を顕微鏡で見る』から受け売りで紹介した。専門家の佐藤さんは日ごろこうした質問に辟易しているのだろう、宇宙の始まりを問うナンセンスさを繰り返し述べている。
「性急に宇宙の始まりだけに関心を持つ人がよく尋ねるのは〈なぜ爆発したのか?〉〈なぜ膨張宇宙なのか?〉だ 」
この問いも前回の「時間」の問題と同様に、〈問い〉そのものがおかしい、とおっしゃる。
その理由をアトランダムに要約してみよう。じつは佐藤さんの原文もけっこうアトランダムに、やや荒っぽい、いい加減にしてくれよという口調に聞こえる。ボクの感じたことは(カッコ)内に注釈みたいに挿入した。
ーー「もし膨張がなければ火の玉宇宙のままであって、知的生命(人類)も発生していない、そうすると、なぜ膨張してないのかという問いさえ存在できない。宇宙が胎児―赤ちゃんと成長(膨張)し、その結果として知的生命(人間)があるのだ。だから『なぜ膨張か?』を問うのは『なぜ自分はここにいるのか?』という哲学じみた問いと同じである。『われ思う、故にわれあり』なのである。」
(注・佐藤さんのこのくだりはちと乱暴じゃないか。八つ当たりされているみたいだ。すなわち質問を発する主が知的生命であろうとなかろうと、また、自らの出生源が宇宙であろうとなかろうと問題ではない。要は宇宙の始まりを問うているのだ、あなたにはそれだけを客観的に答えてほしい。ほかのことはとりあえずけっこうです。)
――「赤ちゃん宇宙にさかのぼれば、ほかにも宇宙は無数にさまざまなものがあった。けっして『この宇宙ひとつ』じゃないのだ。これら無数の赤ちゃん宇宙から偶然が重なってその一部が膨張宇宙になり、さらにその一部に知的生命が生じただけのことだ。だから『なぜ膨張か?』」という問いは、知的生命をはらまなかった無数の宇宙のことを忘れている。そんな野暮な問いには『わが身のありがたさを考えてからその問いを発せよ』と答えればすむことである。
(注・佐藤さん、ボク等の無知をそんなに突き放さないで。無数の宇宙についてはまたのちほど教えてくださいね。)
「われわれの宇宙は決して『宇宙』という言葉に付きまとっている『唯一』とか『普遍』といった性質を備えたものではない。没個性でノッペラボーの存在ではなく、あれこれの特性を備えた個性的な具体的存在である。」
(注・前の200回の説明でなんとなくわかりました。)
「人間はこの宇宙にいろいろ意味を与えている。だが宇宙から見れば人間はとくに意味のない存在だ。人間がこの宇宙に意味を与えなければ宇宙も本来は無意味な存在なのである。人間が描く宇宙は人間が考えたものだが、それは勝手なものでなく、実験と矛盾のないものにするために絶えず書き換えを行っている。だれかがすでに知っているわけのものでもない。人間がつくりつつあるのである。その宇宙という作品は人間と遊離した何者かでは決してない。」
(注・ここは急所を突かれた。なるほどと納得せざるを得ない。宇宙だって、お月さんだってボクらが勝手に仰いで、勝手に気宇壮大になったり、悲しんだりしているだけなのだ。スミマセン。
ただし、もし屁理屈を言わせてもらえれば、人間が意味を与えなければ本来、宇宙には意味がない、とあるが、それはだれが裁断したのか、聞かせてほしい。宇宙誕生について決定的意味づけ、証拠もないいまの段階で得手勝手な独断でないでしょうか。立場によっていろいろ価値観、意見の違いがあるはずだ。)
「ビッグバンの宇宙創成論は宇宙がこれからも絶えず新しい初めての状態に突き進んでいることを説明している。未来は基本的に未知である。われわれはこれからも常に後追いで原因を探っていくだろう。それは『開拓者としての人間』というイメージである。人間はしばしば何かの権威とのつながりによって自分の地位を明らかにしようとしたけれど、しょせんはなんのいわれもない出生なのである。人間は大平原に立った開拓者のようにいわれのないところに杭を打って生活を創り出し、いわれを創り出してきたのである。この健気さをよしとし、開拓者コミュニティの連帯をこそ感ずべきである。」
(注・権威とのつながり、というくだりはキリスト教批判ですね。キリスト教は確かに宇宙を盾に神をまつりあげ、人間と生き物に関しても権威的で差別的だ。キリスト教にはいっぱいいいところもあるが、ここらはまさに一神教の致命傷、泣きどころだとボクも思う。)
ところでこの文章は、地球号で宇宙の果てへ向かっている者同士の連帯をくすぐるなあ。でも、これって、おセンチだね。非科学的だね。宇宙の奥の奥へ紛れ込んでしまった科学者パーティーが、はるか後方の一般素人に連帯を無理強いしているようにもみえるぜ。
そういえば、科学者パーティーが難行苦行の果てにやっと山頂にたどりついたら、そこにははるか以前に登頂していた宗教者パーティーが待ちくたびれていて「お疲れさま」と手を差し伸べたという比喩を思い出した。宗教者サイドがつくったものだろうが、開拓者気取りで、無駄骨を折り、結局到着の遅い科学者を揶揄している。(つづく)
ノラ猫たちとさまよったボクの仏教入門 200
200 宗教と科学(24)宇宙の始まりをイメージしにくいワケ
この限りなく広大な宇宙も、かつては赤ちゃん時代があった。いや、その前には体長1センチの胎児のときもあった。そこまで、つまり180億年前まで現代科学は実証的にさかのぼることができると佐藤文隆京大名誉教授のお墨付きである。科学のすごさはわかる。しかし、ボクはどうもすっきりしない。1センチとはいえ、胎児とはいえ、胎児をはらむには何か原因があるだろう。人間だってただでは子供は生まれない。現代科学は宇宙が胎児になる直前がわからない。胎児になった原因がつかめない。宗教はそこに意味を見つけようとする。たとえば神、造物主といったものをイメージするのだ。
宇宙が誕生するその前は、その先は…と次々さかのぼって駄々っ子のように尋ねたがる性癖はボクだけでないらしい。佐藤さんは『宇宙を顕微鏡で見る』(岩波現代文庫)の冒頭部分で、宇宙とそのほかの〈始まり〉の違いを懇切に説いている。言い回しはややこしいが、よく吟味すると、ボクのような門外漢でもなぜ宇宙の始まりが一般人に説明しにくいか、その理由がほの見えてくる。次のような趣旨だ。
「あらゆる事物に“始まり”はある。始まりを語るにはそれがまだない状態を想像しなければならない。たとえば京の都の始まりについて考えてみよう。平安京が作られる以前の山城盆地を想像するのはそれほど困難でない。事物の始まりはある空間での何らかの物質の時間的な変化で説明できる。しかし、空間や物質や時間があること自体がすでに宇宙があることだから、宇宙そのものの始まりは語れそうにない。」
たとえばこういうことだろう。京の街に立って人や建物や賑わいの光景を見た後、目をつむって山々に囲まれた山野の広がりを想像してみる。そこには千二百年前の京の始まりが浮かんでくるかもしれない。京の今と昔を比べる素材がそこにはある。<ある空間での何らかの時間的な変化>がうかがえるのである。獣たちが行き来した荒野は舗道になり、しゃれた建物が建ち並び、着飾った人々が群れているとか…。空間とか物質の有無、時間の推移という手がかりが残されている。しかし、宇宙には誕生前と誕生後を比較する具体的なものがない。誕生後はともかく、誕生前はーー空間も物質も時間もまだ出現していないのだ。宇宙が誕生する前には、〈物質の時間的変化〉を見届ける具体的な素材は何もないのだ。科学の推論や哲学の理念による説明しかない。だから一般の人々には具体的なイメージがわきにくい。
もうひとつ、佐藤さんは「宇宙の始まり」という問いはほかの一般的な「起源論」に比べて特殊事情があると強調する。それは宇宙に対する人々の勝手な思い込みだ。宇宙といえば、人々はつい「無限」「普遍」「唯一」「全体」「不滅」「調和」…といったものをイメージするというのだ。
そして続けてこう書く。
「こういった宇宙のイメージは何か具体的な宇宙の事物を指すというよりは、それらを超えた彼岸の形而上学的な存在に対して、勝手に性格づけしたものである。この彼岸の存在の中から具体的に認識された部分を引き出していく作業を宇宙についての科学がおこなっている」
この指摘はボクにぴったりあてはまる。無限というイメージが宇宙をいっそう神秘的にし、形而上学的、理念的なものにしているのは事実だ。ボクは何やら宗教的な雰囲気になるとき、断片的にしろ、無限の宇宙の一部分としての大空をまぶたに浮かべることが多い。
じめじめした土の中でなく、どこまでも広々とした大空の果てに思いを馳せて、亡くなった親しい人に語りかけたり、「いまの悩みなんか小さい小さい」と自分を慰めたり、宇宙にではなく、「無限や全体、不滅」のイメージになにかをアピールしたり、あやかろうとしている。
「死者とボクの命は連綿としてつながっているのだよ」、とか、「この世のつらさなんて、ほんの一瞬なのだ、忘れてしまえ、この大きな空がなにもかも呑みこんでくれる」――などと納得しようとし、束の間でもそんな気分に浸り、涼やかな精神状態になる。まあ、ならない場合もあるが、なったように思いこむことができる。
このようにボクの場合、宇宙と宗教的な心情との結びつきは大きい。そういう人はきっと少なくないと思う。
佐藤さんの前述の「彼岸の形而上学的な存在に対してうんぬん」のくだりには、こういうケースへの皮肉やあてこすりが込められているのでないだろうか。ボクのひがみだろうか。
宇宙という言葉に勝手にイメージを膨らませて酔い痴れるのはおかしいよ、宇宙と言ったって、煎じ詰めれば「たかが宇宙なんだから」。佐藤さんはあたかもそう言いたげに、いろいろ書いている。それは次回以降に。
(つづく)